治ったけどね
最近芸能界を賑わせていて、メディアでもよく耳にするようになった病気。パニック障害。かつて私も患っていた時期がありました。
誰でもなりうる可能性があると、テレビでもしきりに言っておりますが、ホントに誰の身に起こってもおかしくないですよ。キッカケはほんの些細なことです。
本日したためる記事は、全て自身に起こったことであり記録です。他の方の症状や、克服方法、治療過程は覗き見てはいないので比べることもできません。
克服方法も、私には合っていたけど、他の人にもあてはまるかはわかりません。それでも、克服できた一つの例として書き連ねることとします。
キッカケ
確かメニエール病になる前だったので、20代後半の頃である。当時私は実家に住んでいて、都内に住む友人に会いに行った、帰りの電車内でのこと。その日私は風邪気味であった。人もまばらな車内にて猛烈な吐き気に襲われた。
幸い車内にはトイレがついていて、限界じゃ!てなった瞬間に駆け込んだ。それから最寄り駅までの数駅は、トイレに閉じこもっていた。
結局、乗車中に吐くことはなかったのだけど、
- 人目のある車内で気持ち悪くなったこと。
- 他人がいる車内で嘔吐してしまうのではないかという恐怖。
以上が、強烈に脳みそに叩き込まれてしまった。最初の出来事は本当に単なる風邪だったのに。ここから私はしばらくの間、「電車に乗れない病」に悩まされることになる。
発症
風邪は治った。しかし数週間後より、不可解な事象が勃発しはじめる。
横浜まで電車通勤をしていたのですが、片道40分の間に、猛烈な具合の悪さから途中下車を繰り返すようになった。
私が当時乗っていた電車は東海道線で、駅と駅の間がけっこう離れている。電車の扉が閉まった瞬間、それを意識した瞬間、次に扉が開くまで、体調不良にならないだろうかという不安が去来し、本当に凄まじく具合が悪くなるのである。
症状としては次のものがあった
- まず動悸がする。脈拍が異常に速くなる。
- 血の気が頭から足までスーッと引いて、手足が小刻みに震える。
- 呼吸がうまくできなくなる。息苦しい。酸素たりない。
- 気持ち悪くなる。吐くかも吐くかも吐くかも。怖い。
- 最後はフッと一瞬、意識が飛ぶ。
ええ、地獄★
座っていればラクかといえば、そういうわけでもない。座ろうが立っていようが、ソレは来る。途中下車により、当初会社への遅刻は増えたが、途中下車を見越して家を出る時間を早める社畜っぷりを発揮。電車乗車時以外は元気なので、会社に着きさえすれば仕事はできたの。そして帰りも途中下車を繰り返して帰宅する。そこまで頑張らなくても良かったなって今は思うんだけどね。
電車に乗れない、電車に乗るのが怖いっていうのは大前提であったんだけど、社畜は会社に通うために日々頑張る。
グリーン車に乗ってみたり、トイレのある車両に乗ってみたり、エチケット袋を持ち歩いてみたりと嘔吐対策はそれなりにしていたのだが、ある日限界が来た。
電車以外でも起こるようになってしまった!
状況としては、閉鎖空間である。会議中、エレベーター、映画館など。閉鎖された空間、自分の自由意志ですぐ脱出できない状況。そういう場所にいると、「あれが来たらどうしよう」って考えてしまって、実際にソレが来る。そういうことが多くなった。
こうなってくると、いよいよ認めざるえない。これはオカシイぞ、と。
診断と治療
病院に行った。限られた状況以外にいるときは元気なので、受診科目は心療内科だろうなって漠然と思っていたが、まずは心療内科も併設している地元の病院に行って、診断を待つことにした。
出された結論は、パニック障害。当時はまだそこまで知られた病気ではなかったが、説明をされた後、薬が処方された。
私が出された薬は、パキシルという抗うつ剤の一種で、不安障害に対して効果を発揮するとされている代物。本当に自分の脳みそ、ちょっとおかしくなっているんだなぁって、この時思ったよね。でも素直に服用。それと同時に、行動療法も大事だと説かれる。
- とにかく、不安を克服する=自信をつけていくこと。
- アレが来るかもしれないって、強く思わないようにすること。
- 来たときの対処法を考えること。体調が本当に悪いわけではない。脳内物質が強い不安によって分泌されることで体調が悪くなる。本当の、私の身体は元気なのである。
- アレが来ないように事前にできることは準備をすること。事前準備の一つが、服薬である。活用すべし。
リハビリ訓練
私は旅行が好きだった。電車に乗れなかったら、もうどこにも行けないではないか。これはもう死に等しかった。なので、むしろ積極的に電車に乗ることにした。
病院に行き始めた後、派遣の仕事は無事に辞めた。契約期間満了を勤め上げてのことである。横浜まで通勤しなくてよくなったのだ。東海道線はよろしくない。終盤では行きも帰りもグリーン車っていう、おそろしい高額通勤となっていた。
ひと区間が長い電車に乗るのは、リハビリ初期段階では自殺行為である。
地元のローカル線にロックオンした。乗客者数も多くなく、満員電車はありえない。のどかな田舎の電車である。
もし途中下車しても、1時間半歩けば、端っこからでも家まで帰って来れる。電車に乗らなくても、帰ってこられる!!これはでかい。
最初はやはり途中下車した。マジで発作くるからね。脳みそって凄いよね。
自分の心がどこにあるのかもわからないけど、心が思っている不安が、脳みそに働きかけて、本当に凄まじい症状をよこすからな。
ソレが来た時に、私が繰り出した対処法は
- 脈を数える。あえてな。手首に指を当てて数えていた。数えることで無心を目指す。
- 脈を数えながらの呼吸。深呼吸に近い深い呼吸を意識する。
- イザという時のエチケット袋は生命線。カバンの中にあることを、直接触って確認する。
- 座っている時限定だが、脱力する。全身から力を抜く。あえてな。
- 無心になるよう頑張る。たいてい無理だけど。
- 最後は薬飲んだし大丈夫!!を、呪文のように繰り返す。
- それでも無理なら、電車降りよ。歩いて帰ればいいやん。
最初は何度も歩いて帰った。用もないのに、近くの大きい町まで日々お出かけ。
徐々に乗れる駅間が増えていった。調子が良い時は、目的地まで一直線に行けたし、だめな時もあった。一進一退しながら、タスクをこなした。薬の力も大きかったように思う。文字通りの精神安定剤。薬飲んだし大丈夫!は、一番効いた呪文であった。
そんな日々をおくり、自由に行動ができるようになるまで、1年弱かかりました。パニック障害は本当にキツかった!もう二度とかかりたくはございませんっ。再発率も高いようですが、今のところ再発もないです。たまに、ほんのたまに、脳内をうっすら過ぎったあと、呼吸が苦しくなったりする時はあるけど、慌てて打ち消しています。そして大丈夫大丈夫と呟けば、けっこう大丈夫。
そして現在
問題なく過ごしております。それでも、電車になんて毎日乗るもんじゃないなって今は思っている。ここぞという時に乗りたい。乗る時は、楽しい時でありたい。自分に優しく生きるのも大事です。
パニック障害になりやすい人の傾向とかいう括りもございますけど、そういうのあんまり関係ないんじゃないかなって思う。キッカケさえあれば、誰にでも起こりうるっていうのは本当だと思います。
あんまり他人と辛さを共有するっていう選択肢は、当時の自分の中にはなくて、身内にも胸の内は言わなかったし、リハビリ中の出来事や悩みもすべて自分の中で片付けたけど、自分の力でたいへん厄介な病を克服したっていうのは、別の次元で大きな自信になっています。
心の状態からくる心身不調を経験していたこともあって、心療内科系の病にもあまり偏見はないし、かといってかわいそうかわいそうってなることもないし、ドライでフラットな目線をもらえたことは、今後人と付き合っていく中では、悪いことじゃなかったのかなって思ったりもします。
それでも、二度と再発したくない病ナンバーワンです。ほんとよく頑張った私。
旅行したいあまりに必死だった。欲を持つことも大事でした。強いエネルギーで支えてくれた。