嫌なことから逃げてたら、ろくな大人になりませんよ

大丈夫、大人がみんな立派ってことはないので。立派な大人ってどこにおりますの。このフレーズが目指す大人像はどんななんですかね。

日々を一生懸命生きてる人たちはたくさんいるけど、今日から大人!って意識してきた人は少ないんじゃないだろか。みんな延長延長で、ここまで来てる。

私は中学生のとき、うまく人とやれなくてな。背骨に病気があって、大手術したこともあり、これ幸いと、療養を理由に登校拒否していました。中2のとき、まったく学校行ってない。まあ、その時に言われたのよね、先生に。この言葉。この先生は、このフレーズが指す「ろくな大人」じゃないっていう、絶大な自信があって言ってるわけです。立派ですね。

わたし先生って職業の人、この世で一番嫌いです。学生のときから現在まで変わってない。もう当時がフラッシュバックして嫌悪しか生まれぬ。たまたま現職先生がこの文章を読んじゃったらごめんね。でも事実なもんでごめんね。貴殿のことではないのよ。

当時のスクールカースト的に、一番底辺にいたんじゃないでしょうか。とにかく自信がなかったよね。自己肯定感が低すぎて、コミュニケーションに支障をきたしたレベル。人よりマイナスだった部分を、せめて人並みに戻したのが20代。今は自己肯定ちゃんとできてる。

心にとっても、人生にとっても一番良くないのは、自己否定と自己卑下だと思ってる。自分で自分に、すさまじい負荷かけちゃってる状態。そしてこれは、誰かに助けてもらうことはできぬ。自分でなんとかしないといけない。私は外に出てみたよ。海外に。結果的には、良かったです。はまりすぎて、「普通」のレールからは外れてしまったけど。でもね、そうだね、当時はそれでいいのか悩んだけど、内面の充実って大事なことだって今はハッキリわかるかも。足るを知れた。

そしてこのタイプはね、自分自身が変われたら、世界がまるごと変わるんです。いろんなことが容易になる。参加することへのハードルが低くなるし、新しいことに飛び込みやすくなる。それまでの人生が失敗みたいなもんだったので、失敗がそこまで怖くないんですね。あの時よりは、良い場所にいるって思うから。もともとが底辺だったから、人と比べたりもあんましないし、嫌われることもそこまで怖くなかったりする。わかってくれる人がわかってくれてたらいいっていうところからスタートした。私の場合。

社会人になったあとは、これは利点でした。相手はちゃんと見るけど。

「あの人は良い人だね」って、言われるような人にはあまりなりたくないなぁとも思う。個人的見解だけど、それってあんまり実は褒めてないこともある。

時間はかかるけど、できること、できたことを一つずつ増やしていって、自分を好きになることです。ラクになるし、何より楽しくなるし、そうすると自然に人も集まってくる。

地元で働くようになると、まあいるんですよ。同級生とか、同級生に近い人。地元って狭いんでね、なんとなく繋がっちゃう人間関係。

そして私が今、仲良くしてる人たちって、当時やんちゃだった人たち多め。今出会った彼らはとても良い人たちです。でも当時会ってたらどうだろう。

時間って偉大。

同じ教室にいても、ろくに会話しなかっただろう人たちと、毎夏BBQしてたり飲んだりしている。人生ってわからないのよ。

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